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金沢地方裁判所 昭和58年(ワ)162号 判決 1990年8月06日

東京都渋谷区<以下省略>

本訴原告・反訴被告

第一商品株式会社

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

福原道雄

右訴訟復代理人弁護士

服部廣志

林川毅

金沢市<以下省略>

本訴被告・反訴原告

右訴訟代理人弁護士

智口成市

本田祐司

主文

1  本訴原告の本訴請求を棄却する。

2  反訴被告は、反訴原告に対し、金一七八四万〇〇八三円及び内金一六六四万〇〇八三円に対する昭和五八年一月一一日から、内金一二〇万円に対する昭和六三年四月七日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  反訴原告のその余の反訴請求を棄却する。

4  訴訟費用は、本訴反訴を通じてこれを三〇分し、その二九を本訴原告・反訴被告の負担とし、その余を本訴被告・反訴原告の負担とする。

5  この判決は、主文2項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一本訴及び反訴の請求の趣旨

一  本訴請求の趣旨

本訴原告と本訴被告との間において、昭和五七年一月八日ころ本訴原告と本訴被告との間に締結された取引委託契約(以下「本件契約」という。)に基づき同月一八日以降昭和五八年一月一一日までの間に大阪穀物取引所及び神戸生糸取引所において行われた商品清算取引(以下「本件商品取引」という。)に関して、本訴原告が本訴被告に対し金一六六四万〇〇八三円の支払義務を負っていないことを確認する。

二  反訴請求の趣旨

1  反訴被告は、反訴原告に対し、金一八四九万〇〇八三円及び内金一六六四万〇〇八三円に対する昭和五八年一月一一日から、内金一八五万円に対する昭和六三年四月七日(反訴状送達の翌日)から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  仮執行宣言

第二事案の概要

一  本訴原告・反訴被告会社(以下単に「原告会社」という。)は、大阪穀物取引所及び神戸生糸取引所の商品取引員である。原告会社の従業員Bは、昭和五六年一二月二五日ころ、本訴被告・反訴原告(以下単に「被告」という。)方に電話し、更に昭和五七年一月七日及び翌八日には被告方を訪ね、商品取引を原告会社を通じてすることを勧誘し、その結果同日被告においてこの商品取引に関するものとしてBに金七万円を交付し、ここに一応本件契約が結ばれた外形が整い(この趣旨内容自体が、本件の最大の争点であって、後に詳しく検討する。)、以後原告会社は被告から、別紙交付金一覧表記載のとおり合計一五八五万五〇〇〇円(右七万円を含む。)を「委託証拠金」の「預託」として受け、また、同様の趣旨で、同年六月三〇日ころ、額面合計一二〇万円の利付き国債(長期四五万円、中期七五万円。以下「本件国債」という。)の預託を受け、同年一一月二六日に原告会社において本件国債を金一一六万五〇八三円で換金処分して受領し、もって、本件契約及び本件商品取引の委託証拠金ということで原告会社は被告から総額一七〇二万〇〇八三円の預託(以下「本件預託」という。)を受けた。

以上については、当事者間に争いがないといえる。原告会社は、最初の昭和五七年一月八日の七万円については、原告会社における受入手続としては翌九日に行われており、同月一六日の二一七万円については、同日午後被告が原告会社に持参したが、土曜日だったので、同月一八日の月曜日に正式な証拠金預り証を交付し、また、本件国債の換価代金のうち一〇二万二五〇〇円は帳尻損金に充当し、残金一四万二五八三円を証拠金として受け入れた旨主張しているが、これらの原告会社内部における処理の点は、本件の結論を左右しないものである。

二  原告会社の主張

1  右一のとおり、本件商品取引に要する委託証拠金として、原告会社は被告から総額一七〇二万〇〇八三円の本件預託を受けたところ、このうち合計三八万円を数回に分けて被告に返還したので、残額は一六六四万〇〇八三円(以下「本件残額」という。)となった。

2  被告のした本件商品取引は、昭和五七年一月一八日から昭和五八年一月一一日まで継続して行われた。その結果被告は、九九二万一〇〇〇円の利益を得た。原告会社は、内金五万一二五〇円を被告に対し支払ったので、益金残額は、九八六万九七五〇円となる。一方で、本件商品取引により一九五八万六六〇〇円の損金が生じたので、これから右益金残額を控除した九七一万六八五〇円が損金残額となる。

また、本件商品取引及び本件契約につき、被告が原告会社に対して支払うべき手数料は合計六八八万一五五〇円である。

3  ところで、本件商品取引中、昭和五七年一二月七日前場二節における大阪穀物取引所市場上場の輸入大豆二枚の買玉については、原告会社従業員が転売についての被告の指示を誤解して手仕舞いの時期を失したので、この取引につき生じた売買損及び手数料の合計一六万九〇〇〇円の支払請求権を原告会社は放棄する。

4  右により、損金残額と手数料の合計一六五九万八四〇〇円から右放棄分を控除した一六四二万九四〇〇円が最終的な本件商品取引における被告の損金及び手数料の総額となる。

そこで、右1の本件残額一六六四万〇〇八三円のうち一六四二万九四〇〇円を右の最終的損金及び手数料に充当すると、被告から預託された証拠金の残額は二一万〇六八三円となる。原告会社は被告に対し、本件商品取引及び本件契約に関して、この金具の返還義務を負っているだけである。

5  しかるに被告は、反訴請求のとおり、右を争い、本件残額の全額の返還を求めているので、本訴請求の趣旨記載の債務不存在確認を求めるものである。

6  (被告の主張に対する反駁)

被告が本件のような取引の基本的な仕組み、方法等について従前知識がなかったことは認めるが、Bは、本件契約の当初、被告に対し、甲第一二二号証や甲第一二三号証のような冊子を交付して、本件契約及び本件商品取引の仕組み、内容等につき時間をかけて十分に説明しており、もとより損する危険のあることについても十分に説明している。被告は、この説明により十分に理解した上で本件契約を結び、本件商品取引に関する発注をし、取引の都度原告会社の郵便による報告やBらからの報告を受けており、また原告会社金沢支店を多数回にわたって訪ね、Bや他の従業員らと相場についての意見を交換するなどしている。右3に記載した取引だけは原告会社が誤った処理をしたが、その他については、本件契約及び本件商品取引は全く正常に実施されたものである。被告が主張するような無断売買などは全然ない。したがって、被告の主張は、前提事実を欠き、全部失当である。

三  被告の主張

1  被告は、昭和一九年○月○日生まれであるが、知能が低く、小中学校も普通よりも一年遅れて入学し、高校に進学する学力がないため、中学卒業後、石川県能美郡美川町のa株式会社に就職し、そこで染色の単純肉体労働に従事し現在に至っており、昭和五五年二月に母親が死亡し、以来肩書住所地で一人で生活しているものである。右の昭和五七年一月まで、先物取引の経験がないことはもちろん、株式取引すら全然経験がなく、商品取引の基本的な仕組みや値動きの理由、商品取引の危険性についての知識や理解力が全くなかったものである。したがって、被告は商品取引に関する不適格者であり、このことは被告と応対する者にはすぐ分かることであるから、商品取引員である原告会社ないしその従業員は、そもそも被告に対して本件契約ないし本件商品取引の勧誘をすべきでなかったものである。

2  しかるに、昭和五七年一月八日、原告会社従業員Bは、被告の無知につけこみ、実際には被告のために誠実に取引する意思がなく、具体的な取引と関係なく委託証拠金を徴収して、無断売買(少なくとも一任売買)を繰り返し、被告の提供する委託証拠金や取引により生じた利益を最終的には手数料名下にほとんど原告会社の利得に帰する意思をもって、輸入大豆等の先物取引は実際には投機性の強い相場取引であり、多大の損金を生ずる場合があるのに、これを秘した上、「商品取引は絶対に損することのない取引だ。元金は保証されていて安全だ。私に任せておけば必ず儲かる。銀行預金よりも有利である。」などと執拗に虚言・甘言を弄して、被告をしてその旨誤信させて商品取引をするように導入し、もって、その場で七万円を交付させ、その後も右のような虚言・甘言を繰り返しつつ、本件商品取引に要する委託証拠金の預託という名目で、どういう意味の金員であるのかよく分からないままの被告から、総額一七〇二万〇〇八三円もの本件預託を受けてこれを騙取し、本件残額金である一六六四万〇〇八三円をなお返還しないものである。

3  原告会社ないしその従業員に右2の詐欺の故意のあったことが仮に認定できないとしても、原告会社及びその従業員たる外務員は、商品取引所法(以下単に「法」というときは、これをいう。)及び受託契約準則(甲第一二二号証。以下「準則」という。)の趣旨又は契約関係の基礎となる信義誠実の原則上、「その遂行すべき業務として顧客を勧誘するにあたっては、顧客の経歴や能力を十分に見極め、商品取引を扱う力に欠けると思われる者を無理に取引に誘い込むことを避けるべき注意義務」及び「先物取引の委託を受けるときは、委託者の経歴、能力、先物取引の知識経験の有無、取引の数量、委託に至った事情等を考慮して、委託者に損失発生の有無・程度の判断を誤らせないように配慮すべき注意義務」を負うところ、原告会社及びその従業員は、本件契約及び本件商品取引の全般にわたり次の4に述べる各種の違法行為をして、右の注意義務に著しく反したものであり、これらに徴するとき、単なる債務不履行などというものでなく、著しく反社会的な行為であって、少なくとも重大な過失により本件預託名下に同額の損害を被らせた不法行為責任を免れないものというべきである。

4  原告会社が本件商品取引の全般にわたり、法、準則等に違反した点は以下のとおりである。

(一) 各種書面の交付

法九一条の二第三項、九五条、準則五条、一二条、一五条五項、二四条五項、二六条は、商品取引員に対し、証明書、報告書、委託証拠金預かり証等の顧客への交付を義務付け、かつ、これらの内容を顧客に説明し、理解させるよう義務付けている。

しかるに、原告会社及びその従業員は、本件取引に関して、右各書面を被告に対して全く交付せず、かつ、説明も理解させることもしていない。

(二) 断定的判断の提供

法九四条一号、準則一七条一号、取引所定款に定める禁止事項(以下「禁止事項」という。)①は、商品取引員が顧客に対し、利益を生ずることが確実であると誤解させるべき断定的判断を提供してその委託を勧誘することを禁止している。

しかるに、原告会社及びその従業員は、被告に対し、「商品取引をやれば必ず儲かる。」等と断定的判断を提示して委託を勧誘しており違法である。

(三) 無断売買・一任売買

商品取引員が、準則に規定する受託の際の指示事項の全部又は一部について顧客の指示を受けないで受託すること及び顧客の指示を受けないで顧客の計算によるべきものとして売買取引をすることは禁止されている(法九四条三号四号、準則一八条一号二号、禁止事項③④)。

しかるに、本件取引は、その全てが、原告会社及びその従業員の無断売買によってなされたものであり、そうでないとしても、被告は先物取引の仕組みについては全く理解していないのであるから、少なくとも一任売買であったものであり、違法である。

(四) 委託証拠金の徴収時期

商品取引員の委託本証拠金の徴収は、委託を受けるときにするものとする(準則八条二項)とされているところ、原告会社及びその従業員は、本件取引において、被告の具体的な取引委託とは全く無関係に、被告から金員を徴収し続けており、違法である。

(五) 返還遅延

商品取引員は、委託者から委託を受けた売買取引の全部又は一部について転売もしくは買戻しまたは受渡しが行われ、委託証拠金の全部または一部についてその預託の必要がなくなったときは、必要がなくなった委託証拠金を、必要がなくなった日から起算して六営業日以内に、当該委託者に返還しなければならない(法九四条四号、施行規則七条の三第一号、準則九条、禁止事項⑤)。

しかるに、原告会社及びその従業員は、本件取引期間中右規定に違反し、必要のなくなった委託証拠金を期日までに被告に対して全く返還しておらず、違法である。

(六) 過当な向かい玉

商品取引員が、専ら投機的利益の追及を目的として、委託に係る売買取引と対当させて、過大な数量の売買取引をすることは禁止されている(法九四条四号、施行規則七条の三第二号、禁止事項⑥)。

しかるに、原告会社及びその従業員は、本件取引のかなりの部分において、被告名義の建玉と同時にほとんど同数の向かい玉を自己玉として建て、かつ、これを仕切っており、違法である。

(七) 委託証拠金徴収義務の違反

商品取引員が、委託証拠金を預からないまま、又は、必要とされる委託証拠金に満たない証拠金で取引の委託を受けることは禁止されている(法九七条一項、準則七条、八条)。

しかるに、少なくとも昭和五七年一月二六日の輸入大豆一〇枚の買取引は、委託証拠金を全く預からないままなされたものであり、同年六月一六日の神戸生糸の買取引は必要とされる委託証拠金に満たない証拠金で取引されたものであり、違法である。

(八) 不適格者の勧誘

昭和四八年四月に行政当局の要請を受けて、全国の商品取引所が商品取引に対して禁止すべき行為として提示した「商品取引の受託業務に関する指示事項」(昭和五三年八月に二項目を追加して一四項目としたもの。以下「指示事項」という。)二項は、不適格者の勧誘を行うことを禁止している。

しかるに、被告には、商品取引の基本的な仕組みや値動きの理由及び商品取引の危険性についての知識や理解力は全くなく、取引不適格者である。原告会社の従業員はこのような取引不適格者に対し取引の勧誘を行っており、違法である。

(九) 投機性等の説明欠如

指示事項四項は、商品取引員が先物取引に関し、投機的要素の少ない取引であると委託者が錯覚するような勧誘を行うことを禁止している。

しかるに、原告会社の従業員は、「商品取引は絶対に損をすることのない取引だ。元金は保証されていて安全だ。」等と全くその投機性を隠蔽して、被告を勧誘しており、違法である。

(一〇) 無意味な反復売買

指示事項七項は、短日時の間における頻繁な建て落ちの受託を行い、又は既存玉を手仕舞うと同時に、あるいは明らかに手数料稼ぎを目的とすると思われる新規建玉の受託を行うことを禁止している。

しかるに、昭和五七年一月三〇日の大阪輸入大豆の取引、昭和五七年八月二三日から同月二六日にかけての神戸生糸の取引等、原告会社は全く無意味かあるいは明らかに手数料稼ぎを目的とする取引を行っており、違法である。

(一一) 新規委託者保護義務の懈怠

昭和五三年三月二九日、全国の商品取引員大会において、新規委託者保護管理協定が成立し、各商品取引員は、この協定の趣旨に基づいて「新規委託者保護管理規定」という社内規則を設け、委託者の保護育成に勤めることとされたが、その内容は、新規に取引を開始した委託者に三か月の保護育成期間を定め、その間の売買取引の受託にあたっては、原則として建玉枚数(一時点において建っている総建玉数の合計)が二〇枚を越えないこと、新規委託者から二〇枚を超える建玉の要請があった場合には、売買枚数の管理基準に従って審査し、過大とならないよう適正な数量の売買取引を行わせることとする等というものであった。

しかるに、原告会社は、右協定の趣旨に違反して、保護育成期間中の被告に対し、最高一〇〇枚もの建玉をさせており、違法である。

(一二) 過当な売買取引の要求

委託者の手仕舞指示にからんで、他商品または同一商品の他の限月等に新たな建玉させるよう強要し、または、建玉することを条件として手仕舞を応諾すること、また、利益が生じた場合にそれを証拠金の増積みとして新たな取引をするよう執拗にすすめ、あるいは既に発生した損失を確実に取り戻すことを強調して執拗に取引をすすめることは禁止されている(指示事項八項)。

しかるに、原告会社及びその従業員は、本件取引の全般にわたって、預託の必要のなくなった証拠金及び利益金を全く被告に渡さないでおきながら、その証拠金及び利益金を悉く新たな建玉の委託証拠金に振り替えて、交付金全額を使っての取引を繰り返しており、これではいずれは被告の全ての交付金が手数料及び取引によって損失になることは必至であり、このような取引は、違法である。

5  以上のとおりの原告会社の不法行為により、被告は本件預託に係る総額一七〇二万〇〇八三円と同額の損害を受けたので、この内金一六六四万〇〇八三円(本件残額と同額)及びこれに対する右不法行為後の昭和五八年一月一一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

また、被告は本件訴訟の追行を本件訴訟代理人らに弁護士費用一八五万円で委任したところ、これは右不法行為と一体となる損害であるから、これに対する反訴状送達の翌日である昭和六三年四月七日から完済まで年五分の割合による遅延損害金と合せてその支払を求める。

6  右不法行為が認められないときにおいても、被告は、次のいずれかの法律構成により、本件預託金全額の不当利得返還請求権を有する。

(一) 前示の事情から明らかなとおり、本件契約は、原告会社と被告との意思表示が合致していないので、成立していない。

(二) 本件契約及びこれによる原告会社の本件預託の受領は、被告の無知に乗じたもので、公序良俗に反し、無効である。

(三) 前示のとおり、被告は本件契約及び本件商品取引の趣旨を完全に誤解して本件契約に係る意思表示を示したものであるから、その要素に錯誤があり、右意思表示は無効である。

(四) 前示のとおり、原告会社ないしその従業員は、故意に虚偽の説明をして、これにより誤解した被告をして本件契約に係る意思表示をさせたものである。被告は、本件反訴状をもって右詐欺による意思表示を取り消した。

(五) 本件商品取引は、全部被告に無断でなされたものである(したがって、この点に関する原告会社の主張は全部否認する。)。

よって、本件契約上も、原告会社は被告に対し本件預託金の返還義務を負う。

第三争点に対する判断

一  (本件契約・本件商品取引の経緯・内容等)

事案の概要摘示に事実、成立につき争いのない甲第一ないし第五号証、甲第七号証の一ないし四、甲第八号証の一ないし三、甲第九ないし第一二一号証、甲第二一二号証(後記措信しない部分を除く。)、乙第一ないし第七号証及び乙第一六、第一七号証、弁論の前趣旨により原告会社が作成したものと認められる甲第一二四ないし第二一一号証及び甲第二一三ないし第二六八号証、証人C(第一、二回)及び同Bの各証言(後記措信しない部分を除く。)、被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、

1  被告は、掛軸や骨董品の箱を作る指物業の父外次の長男として昭和一九年○月○日金沢市に生まれた(本件契約当時三八歳。なお、父母とも学歴は小学校卒)が、知能程度が低いとの理由で小学校の入学が通常よりも一年遅れ、中学校在学中の成績も低く(なお、乙第一六号証中の「学習の記録」の評定は一〇段階評価であって、各教科の評定は一ないし三である。)、中学入学時の昭和三二年五月二七日に実施された新制田中A式知能偏差値も二八という低さであり、そのため高校に進学しなかったこと(一年後に、定時制高校への進学を考えたことがあり、そこで乙第一六号証の高校入学志願者調査書が作成されたのであるが、結局受験しなかったものである。)中学卒業後直ちに金沢市近郊にあるa株式会社に就職し、現在に至るが(国鉄、現JRで通勤)、他の従業員の上に立つということもないまま、終始単純肉体労働に従事していること(当初物の運搬や上げ下ろしの仕事をし、現在は染料を混ぜるための糊を作っている。)、終始父母と暮らしていたが、昭和四八年に父を、昭和五五年二月に母を亡くし、同年四月に妹が嫁いで以来一人で暮らすようになったこと、何度も見合いをしたが結婚することができず、飲酒、競馬・競艇等、友人との交際その他で遊ぶこともなく、会社からの給料はひたすら預貯金し、株式取引も先物取引もしたことがなかったこと、右昭和五五年の母死亡時に被告名義で八〇〇万円から一〇〇〇万円の預貯金を有し、これを含めて全部で一八〇〇万円ほどの預貯金を有していたこと、本件商品取引の当時においては、大体朝七時二〇分ころ家を出て、夕方六時二〇分ころ帰宅するという日課で、新聞は主としてテレビ欄とスポーツ欄を読み、経済欄は読まず、家ではテレビでスポーツを見て寝るというような毎日であったこと、

2  被告の生育歴、職歴、知識・能力の概要は右の1のとおりであって、本件商品取引当時も、被告には先物取引の原理・仕組みを理解する能力が全くなく、本件訴訟を通じて若干理解するようになった部分はあるものの、それでも現在なお極めて不正確・不十分な理解しかできないものであること、

3  事案の概要摘示のとおり、結果的に被告から原告会社に対し本件国債を含めて一七〇〇万円もの高額の本件預託がされたのであるが、遡ってことの始まりを見るに、最初に昭和五六年一二月二六日夜、原告会社の従業員Bにおいて、ある講演会の出席者名簿で被告を知ったといって、突如商品取引勧誘の電話をしたものであること、その講演会に出席していなかった被告には意味が分からず、即座にこれを断わったこと、次いでBは、翌年の昭和五七年一月七日の夜に、「前に電話した者である」と言って被告宅を訪ね、「銀行の利息よりも高いから」と言って先物取引を勧誘したけれども、被告は前同様の理由で玄関口で即座にこれを断わったこと、しかるにBは、翌八日の夜、再度被告宅を訪ね、被告勤務会社の前の工場長の「D」はBの親戚であるなどという話を交えつつ、結局被告の家に上げてもらい、「相場」は非常に儲かる、預貯金の利子よりも遙かに有利であるなどと言って商品取引、先物取引をするように執拗に勧誘したこと、一時間余り(被告の供述)ないし約三時間(Bの証言)の話に際して、「先物取引」、「委託証拠金」、「預託」、「相場」、「手数料」などという言葉が出たのであるが、Bは甲第一二二、第一二三号証のような「受託契約準則」や「商品取引委託のしおり」などの書面を被告に交付せず(甲第六号証の成立過程は甚だ不明朗である。ただし、この成立が真正なものとしても直ちに右「準則」等の交付の事実が認められるものでなく、また仮にこれを交付して説明したとしても、被告には理解できなかったものというほかない。かくして、この交付の存否は本件にあっては必ずしも重要な事柄ではない。)、本件契約及び本件商品取引の真実の法律的・経済的意味を被告に対して明確に理解させるような努力をせず、被告から原告会社の預託される多額の金員が全部返還されなくなる危険のあることや、更には高額の損金を清算しなければならなくなる危険すらあることを明確にせず、かえって原告会社が被告に対して勧誘している相場は安全で儲かることばかりを強調し、いわば被告を誤導したものであること、結局のところ、Bの説明によって被告が漠然と理解したところは、「相場」をするのは被告ではなくて原告会社であり、そのため原告会社においては、個々の取引においては損をすることもあろうが、専門業者である以上最終的には大いに儲かり、このことを通じて、「委託証拠金」を「預託」して原告会社にいわば「投資」している被告にあっても、最終的に預貯金よりも有利な金利を原告会社から得られることになるというものであったこと、このような漠然たる理解(誤解)で同日Bに現金七万円を交付するに至り、以後Bら原告会社従業員に言われるままに高額の金員を集中的に「預託」したものが本件預託にほかならないこと、

4  本件商品取引当時、被告は原告会社金沢支店を週二回ほどの割合で訪ねているが、その際B等の原告会社従業員が被告と本件商品取引についての具体的な注文・報告等の話をしたことは、昭和五七年一一月一日の大阪輸入大豆の取引に関してだけであり、他にはないこと、被告は右の3のように誤解していたので、原告会社が「相場」で儲かることを期待していたが、原告会社がどこの取引所でどのような取引をするのか全然関心がなく、原告会社から本件商品取引についての個別の報告を受けたこともなく、被告自身が取引をしている扱いとなっていることを知らなかったこと、すなわち原告会社は、被告から具体的な取引委託と無関係に委託証拠金を徴収して本件預託を受け、その一方で時には徴収すべき委託証拠金を徴収せずに勝手に立替えて、無断売買や、無意味な反復売買、過大な取引を繰り返し、必要の無くなった委託証拠金を六営業日内に返還することもほぼ全くせず、結局僅か一年の間に、一七〇〇万円余の本件預託を受けながら四〇万円余しか返還せず、自らは六八八万円余の手数料を得た上で、現在被告に対する支払義務は二一万円余しか残っていないと主張しているものであること、

5  かくして原告会社従業員Bないしその同僚・上司らは、法律・経済・社会的な知識・経験が乏しい被告が相当の預貯金を有していることを何らかの方法で知ったことを奇貨として、被告が損をしないように誠実に配慮する意思が全然なく、専ら原告会社ないしその従業員らの利益を図る意思しかないのにこれを秘し、元来商品取引、先物取引をする能力がないことが明らかな被告に対し、虚言・甘言を弄して前示のように誤解させたままに放置し、前示のような無断売買、無意味な反復売買等の取引をしながら多額の委託証拠金を徴収し続けて、およそ被告が損をしないようにするとか、被告の損が最小になるようにするなどの配慮を全然しなかったものであること、

以上の事実を認めることができ、前掲甲第二一二号証並びに証人B及び同C(第一、二回)の各証言中この認定に反する部分は、その余の前掲各証拠に照らして措信できず、他にこの認定に反する証拠はない。

二  (不法行為の成否)

右一に認定した原告会社ないしその従業員らの行為は、法及び準則に違反することももちろんであるが、単にこれらに違反したというにとどまらず、正常な商品取引委託契約の勧誘の範疇を著しく逸脱して、被告が莫大な損失を被ることを意に介さずして自らの利益のみを図ろうとしたものであることが明らかである。このような意図を秘して、著しく理解力の低い被告をして本件契約を結ばせ、被告が本件商品取引をしているかのような形式を作出して委託証拠金名下に本件預託を受けたことは、被告が前示のような誤解に陥っていることに乗じてした詐欺まがいの行為というべきである。前掲各証拠上このように認定するほかないものであるが、万一原告会社ないしその従業員らが直接被告の損失を当初から企図ないし計算したものでなく、あるいは被告の前示誤解等を知らなかったものとしても、前認定に係る原告会社従業員らの無断売買等に徴するとき、商品取引所の会員で一般顧客から取引の委託を受けることを業とする原告会社ないしその従業員にあっては、顧客の経歴、一般的事理弁識能力、資産・収入、先物取引等についての知識・経験の有無などを見究めた上で、委託契約の勧誘をすべき社会的な義務を負っているものと解すべきところ、前示のような知識・経験・理解力に欠ける被告に対して夜間その自宅に押し掛けて執拗に勧誘することは、著しく反社会的な行為であって、安易に被告の損失等の危険等に配慮せずこれをしたことにつき重大な過失があり、このような経過で本件契約が成立したとして委託証拠金名下に金品の預託を受けることは、本件契約の成立の有無を論ずるまでもなく、右同様に詐欺に準じた不法行為を構成するものというべきである。

三  (損害等)

かくして、原告会社ないしその従業員らの右不法行為により(直接にはBの不法行為につき原告会社が民法七一五条の使用者責任を負うことによる。ただし、Bだけの責任か、他の従業員ないし経営者も関わっているのか定かでない。いずれにせよ、Bを除くその余の原告会社の内部事情が明らかでないからといって原告会社がその責任を免れることはない。)被告は昭和五八年一月一一日までに本件預託に係る総額一七〇二万〇〇八円の損害を受けたことになり、一部返還されたものを控除した金一六六四万〇〇八三円(本件残額金)及び右不法行為の後である右昭和五八年一月一一日から完済まで年五分の割合による遅延損害金を求める被告の請求は、その余の点について論ずるまでもなく理由がある。

四  (弁護士費用)

右認容額、事案の難度、訴訟代理人の関与の程度等に徴するとき、右不法行為による損害として金一二〇万円の弁護士費用が認容されるべきである。なお、これに対する遅延損害金の起算日は、被告請求のとおり反訴状送達の翌日である昭和六三年四月七日とする。

五  (結論)

以上の次第であって、右三により、原告会社の本訴請求は(その趣旨には若干曖昧な点があるが、弁論の全趣旨に照らして、要するに反訴請求に係る被告の原告会社に対する債務がないことの確認を求めているものと解される。)その余の点について論ずるまでもなく失当であり、反訴請求は右三、四の限りで理由があり、その余は失当である。

(裁判長裁判官 伊藤剛 裁判官 塚本伊平 裁判官 松谷佳樹)

<以下省略>

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